BGMは琉球古典舞踊(前之浜節)をアレンジした古琉球旋律によるソルフェジオ周波数音楽
(前之浜龍神・メーヌハマリュウジン)です。
下記に字幕や沖縄方言によるナレーションの文字起こしの一部を掲載しますのでご参考されたい方はどうぞ。
1,令和4年の9月。私たち夫婦は初めて「神の島」久高島を訪れることになりました。
2.とは申しましても最初から久高島へ行く予定を立てていたわけではありませんが、とんとん拍子に話が進んでのことでした。
まずはその経緯をお話ししましょう。
3.私たちは令和4年の正月を終えた頃に、今年こそ温泉旅行に出かけようと決めて南城市のホテルを予約していました。
4.出発する前日に妻が「この機会を逃さないで久高島に行きたい」と申し出たので、私もこれは行くべきだと心のどこかで確信がありました。 暦も見ずにこの旅行は温泉と久高島への渡航の二つの目的が決まりました。
5.久高島は「秘祭・イザイホーがあった神の島」という情報以外は詳しく調べず渡りましたがそれには理由があります。久高島に「呼ばれる」時にはそれなりの意味と時期があると信じていましたので、「行けばわかる」と考えていました。また久高島に渡るときは一般の観光客のようにノースリブ、半ズボン、ビーチサンダルなどの軽装ではなく、かといって本格的な「御拝」でも「観光地巡り」でもありません。「行けばわかる」という確信だけでした。
6.不思議エピソード1
当日温泉付きのホテルに着いたらなんとホテルの都合で部屋が使えないとのことでしたが、ロイヤルスウィートルームをご準備してありますと信じられない計らいのご提案を受けました。
ラッキーナンバーの8が二つ、部屋には「尚徳王」の名前がついていました。私たちはほんとにびっくりしましたが、これは吉兆だとばかりに部屋に案内してもらいました。
7.個室に天然温泉!この温泉は500万年前と5400万年前の地層から湧き出したものが地上に上がるまでに自然にブレンドされ、ろ過、加温、加水を一切していないそうです。久高島に渡る前に身も心も浄めるには最高ですね。
8.Oh! my Godness.....
9.琉球王国時代には国王(ウスガナシーメー)が聞得大君(チフィジン・キコエオーキミ)を伴って久高島に渡り、(トゥムナティ久高んかい渡いみそーち)礼拝を行っていた。
10.後に本島の斎場御嶽(せいふぁうたき)から久高島を遙拝(ようはい・ウトゥーシウグヮン)する形に変わり、1673年(延宝元年・えんぽうグヮンネン)からは、国王代理の役人が遙拝を務めるようになった。
11.明治41年)の島嶼町村制施行時に島尻郡知念村久高となり、2006年(平成18年)に知念村が佐敷町、玉城村、大里村と合併したため、南城市知念字久高となった。
12.出航前夜、久高島ご出身の父親を持つ友人に「アマミキヨ降臨の伝説が伝わる浜を目指せ」「港を出たらひたすら右の未舗装の道を進め」と教えてくれた。
ここからは倍速再生です。本来はこの道を含め全ての道で最徐行です。
大昔の久高の人々は浜に向かうために徒歩でこの道を歩いて行ったのでしょうか。当時をしのびながら進みます。
不思議エピソード3.
この道を教えてくれた友人は、2020年に私がYouTubeで発表したオリジナル楽曲動画第1作目「アマミキヨ降臨・RISING TWIN DRAGONS」をみて私にこう言いました。「この動画の道はどこ?久高に行ってきたのか?本当にそっくりだ」と驚嘆していました。私はこの道は初めて通るし予備知識のなかった頃の動画との類似性には、作者の私本人も驚くほどの景色でした。デジャブとはこのことでしょうか........
13.島の最北端(ニヌハティ)にあるカベール岬は、島の人からハビャーンと呼ばれ、琉球開闢の神「アマミキヨ」が降り立った地と言われます。
現在も祭祀(ウガミジシチ)が行われる大切な場所(シジダカドゥクル)のひとつです。
14.海に向かって浜の右側には小さな礁池があり、そこには沖縄本島のほとんどの海から消えてしまった光景が観れました。
15.このイノーでは、たくさんのヤドカリ達が、運動会を行なっている最中でした。ww
16.アレに見えるはナマコ(シチラー)でしょうか? かつては沖縄本島の海岸沿いには、色とりどりの珊瑚(ウール)、たくさんのナマコ(シチラー)やコバルトスズメ(オーイユ)、ウニ(ガチチャ)、イソギンチャクなどがいましたし、ウツボ(イシブラー)、 タコ(タク)、ウミヘビ(イラブー)、色鮮やかな熱帯魚が泳いでいましたがサンゴ礁の激減と開発で環境は著しく変化してしまいました。
17.今私たちが見ている沖縄の海は、50年前と比べても全くの別物になってしまいました。
18.人は人から見放される時がある
19.しかし大自然は人を見離さない。
それは神は人を見離さないという事と同じです。
それでは我々はどう自然と向き合うのでしょう?
20.それは神々とどう向き合うかという問いへの答にもなりえるでしょう
神を畏れず許しを乞わない人に対しても常に「自然」や「神々」からの守りの中で生かされているのです。
(神ウスリんさん、ワビんウガミんさんチュやたんてーまん ちゃー自然神々ぬマブイぬナーカうてぃ イカさってぃるういびん。)
自然は、あるがままの姿でいまもそこにあり、人間、動物、虫の隔てなく全ての生命の糧となり黙って見守っています。
「神」という言葉の内には「大自然=天」が内在しており、この久高島の人々が「神」へも「自然=天」へも同じように感謝し守り通す姿こそ、神、自然、宇宙と一体になって生活していると言われる所以なのでしょう。
「神」と「自然」が一つのものならば、私たち人間が言うところの「自然に対して優しく」と言う言葉は正しいのでしょうか?そうなると別の意味では「神々」に対して優しく.......となりませんか? 人間が大自然の恩恵を受けているならば(恵み受けとぅとーるんどぅんやれー)、
それを大事に崇め守っていくことは(自然アガミティ、アタラサしマモイルクトゥや)私たち人間の責務(チトゥミ)なのではないでしょうか。
水を飲まなければ数日で命は断たれ、酸素がなければたちどころに絶命する。それが私たちの現実です。
天からの恵みに感謝もせず、奪うだけの人間はいつの日か思い知らされることになって、そのとき慌てて「神頼み」しても…….筋の通らない話しですよね......。
不思議エピソード4. 私は辰年の生まれで、平成二十四年の辰の年にたくさんの不思議な体験や出会いがあり、難解な夢をたくさん見せられました。
白龍神と黒龍神が空から古代の琉球に舞い降りてくるときに、その双竜は手に様々な穀物の苗(グククぬンニ)や種(さに)を持ち、それらを残していった。という夢です。
このイシキ浜には五穀の種の入った白い壺が「ニライカナイ」から流れ着いた五穀発祥伝説の残る浜だと知り不思議な気持ちになりました。(ひるまさるくくちんかい けえなやびたん。)
手を合わさずにはいられないのです。
(ティーアワサングトゥネェ うらりやびらん)
御殿庭 ウドゥンミャ〜
12年毎のウマ年に行われたイザイホーや、村の主だったる年中のウグァンのさっトォたるナーです。
ウフナーの一角には、タンカーに 神「はん」アシャギがたち、神「はん」アシャギに向かって右には村のウフグヮンスの一人とされる百名シラタルーを祀った神家、左側には海から獲って来たイラブーをンブスン焙乾屋がある。
イザイホーとは久高島で生まれた30才・うしどし から41才トラ年までの女性がファーフジのセジを受け、島の(拝みジシチ)する人たちの中に入る儀式です。
イザイホーの時分には神アシャギは「クバ」んじ壁ふち、入口「ジョーグチ」には「イチミ」と「グソー」を繋ぐ象徴とされる『七つ橋』がかけられ、神アシャギの後方のイザイ山には女性たちが三晩籠る『七つ屋』が建てられた。
祭りに先立つ1ヵ月前から祭祀の主宰者であるノロや先輩格のヤジクが,今度初めて祭りに参加するナンチュを率いて島内の聖所を巡拝する〈御願立(おかんだて)〉の行事をすませる。
島の過疎化が進み、1990年はナンチュ(新たな神女)となる女性の不在と、儀式の祝詞や段取り(ヌリトゥウガミクトゥバ、をもっともよく知る外間ノロウメーギ(神職名。外間ノロの補佐役)の逝去のために行われなかった。2022年現在も途絶えたままである。
大郷家「ウプラトゥ」
久高島ぬ「うふ昔からのヤー筋」ぬティーチなてぃ
うふやーのアガリんかいあいる神家 崇めとぉびん。
イシキの浜かい流れ着ちゃる五穀の種「さに」の入っちょーるチブひれぇあぎたんでぃるチュにちちぇー、いるいるとぅはなしぇーあいびぃしがる、うぬティーチねぇ「ウプラトゥ」ぬウフグヮンスぬ「アカッツミーぬミートゥンダ」ぬういびん。
ウプラトゥや「グククユーウプラトゥ」んでぃん ゆばってぃ
アカッツミーミートゥンダや「グククホウジョウぬかみ」とぅしち、まちらっとーびん。
ウプラトゥぬイナグングヮやたるクンチャヌサルが、第一尚家いちばんあとぅぬウスガナシーメー「尚徳王」が久高島んかいめんそーちゃるバスにクイナカんかいなたん、んでぃいーるイィチテーぬあいびん。うりんかいにゆりば尚徳王が久高んかいうとーるえーだに、スイんじマギ戦さぬうくてぃ、いしじスイんかい向かたるむぬん、「時すでに遅し」んでぃ悟らりやーに、海んかいミーなぎみしぇーたん。
ウプラトゥかいねぇ戦前までぃ「尚徳王」ぬジーファーぬあたんでぃる、いいちてぇぬあいびん。
不思議エピソード.5 皆さんもお気づきでしょう........この古い屋敷跡にあの第一尚家最後の王であった「尚徳王」が滞在していたとのことなのです。 昨日幸運に恵まれて宿泊した部屋の名前も【尚徳王」.........。 ここまできたら話ができすぎていて笑えません、、、、しかしこういう事は実際にあるのです。 証明?できません。しかし全ては事実なのですから仕方ありません。
不思議エピソード.6 今回の旅では男子禁制のクボウ御嶽のある「島の西側」の道へは、入って行きませんでした。
なぜかしら気が進まず次回に訪問することにしたのですが、家に戻って暦を見てみると。なんとその日は「辰の日」で 赤口。正式な拝みなら絶対NGの日だったんです。次は必ず暦を確認いたします……..
絶えず変化していくものと、決して変わらないこと。目に見えるものと、みえないもの。私たちは空気を見ることも掴み取ることもできませんが、呼吸をしなければ命を保てません。私たちは「神」を観ることも手を握ることもできませんが、「祈り」がなければ無軌道になります。全ての祈りの始まりは「感謝」です。私は目に見えない「音楽」に感謝します。
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