デヴィッド・Z, by Wikipedia [ Ссылка ] / CC BY SA 3.0
#アメリカ合衆国の作曲家
#アメリカ合衆国の音楽プロデューサー
#1953年生
#存命人物
#ミネソタ州の音楽プロデューサー
右端がZ。
中央にいるラスカルズのフェリックス・キャヴァリエとの2008年のセッションにて。
デヴィッド・Z(David Z、本名:デビッド・リブキン、1953年 - )はアメリカの音楽プロデューサー、エンジニア、ミキサー、作曲家。
ミネアポリス出身でロサンゼルス在住。
プリンスとの長年の連帯で知られるが、エタ・ジェイムズ、ビリー・アイドル、ボ・ディーンズ、バディ・ガイ、ネナ・チェリーなどのアルバムも制作している。
エリサ・フィオリロの1990年アルバム『I Am』からは『On the Way Up』『Oooh This I Need』のヒットが生まれ、ベルリン出身のテリー・ナンの1991年作『Moment of Truth』も制作した。
1989年に全米トップに立ったファイン・ヤング・キャニバルズ『シー・ドライヴズ・ミー・クレイジー』では特徴的なスネア・ドラム・サウンドを作った(作曲はローランド・ギフト, David Steele)。
1980年に英米トップヒットとなり日本のテレビではクイズ番組のシンキング・タイムなどに(2010年代でも)頻繁に使用される『ファンキー・タウン』を放ったバンドリップス・インクのメンバーだった。
エンターテイメント業界で活躍する3人兄弟の長男である。
10代の大半をミネアポリス周辺のいろんなバンドで活動し、1970年代初頭に作詞作曲・エンジニアなどの仕事をミネアポリスとロサンゼルスで行った。
1973年、カントリー・ロック音楽の創始者で早世したグラム・パーソンズの初ソロLP『GP』に参加し、収録曲『How Much I've Lied』を共作した。
その後、ドラムマシン・ループ・サンプリング音を斬新に使い1980年代のミネアポリス・サウンドを構築した。
1980年代後半から90年代はプリンスのスタジオ「ペイズリー・パーク」で制作をした。
1970年代半ばにミネアポリスのシーンで活動していたプリンスと遭遇。
Zがエンジニアを担当してデモテープを作り、プリンスはワーナー・ブラザース・レコードと契約。
プリンスの初期アルバム群においてZがどの程度貢献したのかは、いまではプリンスの卓越した作曲演奏能力の神話の中に埋もれているが、彼のレコーディング技術が作品の内奥に編みこまれていることは明らかである。
1985年の全米トップ・ヒット『Kiss』では編曲・エンジニアを担当している。
もともと同曲は、ZがプロデュースしていたMazaratiというバンドにプリンスから提供されたギター弾き語りによる12小節の小品だったが、Zが大幅に改変したバージョンを聴いたプリンスが取り返し、アルバム『パレード』に最終段階で収録したという経緯がある。
また、Zは映画『プリンス/パープル・レイン』サントラで録音・エンジニアを担当した。
映画の分野でサントラ、スコアを担当し、成功している。
プリンスとの『パープル·レイン』と『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』(『Kiss』をふくむ)のほかにも、1996年ノーラ・エフロン監督・ジョン・トラボルタ主演作品『マイケル』ではアル・グリーンやKenny Wayne Shepherdの曲を制作。
テヴィン・キャンベルとの『Stand Out』と『I 2 I』は1995年ディズニー映画『A Goofy Movie』に使用された。
Ещё видео!